先日、推しが結婚しました。
推しが結婚するなんて正直ありそうでない話だよな〜、なんて世界の大谷さんが結婚した時に考えていたら、その三日後の桃の節句の日に推しが結婚しました。
正直今でも実感が湧いていないのです。結婚しました、とファンクラブから推し名義で連絡が来たり、テレビで結婚報道を見たりしているから、本当のことだとは理解しています。
だけど、ついこの前まで結婚の「け」の字も見当たらなかった推しから唐突に結婚の言葉が差し出されたんです。「これは夢なのか?」と思っても仕方がないと思うんです。
でもやっぱり推しは結婚していて、推しの顔を見るたびにその隣に誰かは分からないけど推しの奥さんがチラついてしまってちょっと悲しくなるんです。「みんなの推し」から「私たちが踏み入れることの出来ない領域に最愛の人を入れた推し」になった推しを見ると、前みたいに無邪気に推しに対して「好き」を伝えることが烏滸がましく思えてきてしまったんです。
きっと、「今まで通り推していいんだよ」と私の推しは言うと思います。絶対とは言い切れませんが、そう思っていると思います。
ただ、推しはそれでいいって言うかもしれませんが、私がそれでは無理なのです。
誰のものでもない「推し」から、誰かと共に人生を歩むために強固な誓いを立てた「推し」に変わってるのに、こちら側が今までと同じ熱で推していたら、きっとどこかで歪みが出来てしまう。それは初めは小さなものだったかもしれないけれど、時間が経つ度にどんどん大きくなっていき、最後には治すことができないほどの大きな歪みとなってしまうと思うんです。
だから、私は考えました。どうすれば、これから先も推しを長く応援できるのか、と。
そこで私は思いました。
「そうだ、ブログをしてみよう」
と。
前々から気にはなっていたんですが、どうしても後一歩のところで始めることが出来なかったブログ。それを、推しが結婚したのを機に始めてみようと思ったのです。
正直、どこまで続くかは分かりません。もしかすると、今回のブログで一発終了、なんてこともあるのかもしれません。
だけど、どういうわけか、ブログを書いていくことで推しとの向き合い方がより良い方向へと変わっていくのでは?と何となくですが思うのです。
私は心底飽き性なので、これからどうなるかは分かりません。
でも、今までとは違うことを始めた今の私は、少し前とは違う私になったのではないかと思います。
世界を変えたいのなら、自分自身が変わらなければならない。
すると同時に、世界は変わった自分と同じように変貌する。
そして、きみ自身が幸福に生きるならば、世界はもっとも大きくなって輝くだろう
推しが結婚報告の際に用いたルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインさんの言葉だそうです。
実に推しらしい、素敵な言葉を選んだと思います。
そして、これを読むと私はやっぱり、推しのことが大好きなんだなと思うのです。
だって、私は推しが結婚したから、このブログを始めようと思ったのですから。
推しの変化が私の変化を作ったって、やっぱり私、推しのこと好きじゃんってなるんですよね。